憂鬱な月曜日。
「行きたくないな。」
そう思いながら「行くだけ行ってみよう。あの資料だけは終わらせなきゃいけないし。」これを金曜日まで繰り返す。結局、忙しさと同僚たちの顔色を伺っているうちに終業時間を迎え、逃げるように退社する。
鉛のような身体を引きづって家に帰り着くと、今日うまくいかなかったことが体中を支配する。まとわりつく蜘蛛の糸を振り払い洗い流すようにアルコールを浴びて、気を失うように眠りにつく。
朝の気分は最悪。「行きたくないな。」をまた今日も繰り返す。
金曜日の朝だけは少し気が楽で「今日さえ終われば。」そんな気持ちで家を出る。
1週間を生き抜くのはなかなかしんどいものだ。
勇人くんの事を少し書き綴っておきたい。
「今日もうまくいく!」が口癖の勇人くんは、もう50を過ぎたいいおじさん。部下であるわたしに「くん」付けで呼ばれても愛嬌が良く、少しおどけて見せる上司だった。みんなにも好かれているように見えた。
「前髪切った?ってタモリみたいでしょ?今日の会議頼むよ!大丈夫、うまくいくよ!」なんて声を掛けてくる。
なんちゃらハラスメントが流行り出してから、業務以外の会話が少なくなった職場でもムードメーカーで無くてはならぬ人だった。
勇人くんが出社しなくなったのは5月下旬。
理由は明かされなかった。
交通事故にあったとか、うつ病だとか、奥さんの具合が悪いとか。
真実がわからない時ほど悪いうわさが立つもので、あちこちで勇人くんの名前が聞かれた。まぁ、急に仕事を休むって事は何かしら良からぬことが起きたのだろう。そう考えるのが妥当なのかもしれない。
こちらから連絡をするのは遠慮しておこうと、腫れ物に触る気分で間合いを図っていた。
勇人くんのことが話題にもならなくなった頃、退職が発表された。
休職して半年も経った頃だ。
少し気が引けたが勇人くんに短いLINEを送った。感謝の気持ちを伝えたかったからだ。
すぐに返事が来た。
「精神的にきつくて病んでしまってね。でも休んでいる間に自宅でできる仕事を見つけた。福岡の糸島へ移住するよ。」そんな端的な返事だ。
いつも少し笑った表情でフロアに存在している勇人くんを思い出していた。
椅子にもたれることなくパソコンに向かい、あちこちに声を掛けて根回ししている姿はさすがベテラン、コミュニケーション能力も高く尊敬できる上司だった。
少し気になったのは、物は少ないのに煩雑なデスクと、左人差し指の震えだった。
いつもじゃないから指摘したことはなかったが、明るい表情と震える指先には不自然さがあった。
デスクには、デスクトップのパソコンと少しの書類とバインダー。文房具はほとんど無かった。それから、だいたいいつも特茶のペットボトルが置いてあった。
たったこれだけの物なのに、放り投げたように置かれたバインダーや斜めに置かれた手垢だらけのキーボードは、なんとなく勇人くんの精神状態を表していて、順調な仕事ぶりに反して、気持ちはいつも混乱していたのかと今更ながら想いを馳せている。
口癖の「今日もうまくいく!」は自分に言い聞かせているだけで、全然うまく行っていなかったのだろう。
とにもかくにも、もう会社で勇人くんには逢うことは無いのだと考えると寂しくなった。
それでも、あらゆるしがらみから解放された勇人くんがうらやましかった。
詳しい事は逢ったときに話そうと、余計なことは聞かないでおくことにした。
「逃げることも良いもんだ。見えなかった景色が見れたからね。今は月曜日も金曜日も気にしない生活を送っているよ。ぜひ糸島に遊びに来てよ。」
このメッセージでやりとりは終わらせた。
社会人とは、1週間を生き抜くことで精いっぱいな生き物なのかもしれない。
もしも、九州に行くことがあったら勇人くんに逢いに行こうと思う。
夏がいいかな。 fin
*これはフィクションです。
↓↓糸島の特産品も探してみよう。
コメント